バベットの晩餐会① [映画]
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味わい深い名作と誉れ高い映画のご紹介
「バベットの晩餐会」 1987年 デンマーク
19世紀 北欧デンマーク
ユトランド半島の海沿いの寒村に、二人の年老いた姉妹が暮らしていました。
父親は名の知られたプロテスタントの牧師でした。
亡くなった後は姉妹が結婚もせず、村の信者たちを束ねていました。
集会にはバベットというフランス人の家政婦の姿がありました。
若い頃マチーヌとフィリッパの姉妹はたいそうきれいでした。
教会では美しい声で讃美歌を歌っていました。
そんな姉妹に想いをよせる男性が
村の外からやってきました。
一人はレーヴェンイェルム(読みにくい!)
という若き将校。
享楽三昧の生活の罰として、
寒村近くの伯母の家に謹慎処分になったのです。
ある日市場でマチーヌ(顔の長い方)に一目ぼれした将校は
牧師の家の集会に顔を出すようになります。
しかし清廉潔白なマチーヌとわが身を比べ 、かえって落ち込む羽目に。
謹慎期間の終りに手をとって口づけをすると、
想いを振り切って駐屯地へ帰っていきました。
パリの人気オペラ歌手 アシーユ・パパンは
静かな旅を求めて寒村の宿に来た折
教会でフィリッパの歌声を耳にしました。
”ぜひお嬢さんに歌を教えてオペラ座に立たせたい!”
パパンはカトリックにもかかわらず父親の牧師を説き伏せ
まんまと個人教授の座につきました。
モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の誘惑の歌詞にのせて
フィリッパの肩を抱く中年男パパン!
恐れを抱いたフィリッパは父親に断りの手紙を頼みます。
傷心のパパンは失恋の海に漕ぎ出して行ったのでした・・・
1871年の激しい雨の夜、姉妹の家にマントをはおった大柄な女性が
転がり込んできました
女性はパリからパパンの手紙を携えていました。
”あれから30年余、パリコミューンで夫と息子を殺された
哀れなバベットをどうか助けてやってください”
マチーヌから干し鱈(タラ)のもどし方や、ビールパンの
調理方法を教わります。
優秀なバベットはすぐに家事を覚えると
買い出しの交渉にも手腕を発揮するようになりました。
”これ負けてよ!”
嵐の夜からさらに14年後は、亡くなった牧師の生誕100年でした。
村の信者たちは年老いていがみ合うことが多くなり、
姉妹は12月15日の牧師の誕生日に、記念の祝賀会を企画します。
ところがその年の秋の日、バベットが宝くじで1万フランを手にしたのです!
(パリへ帰ってしまうのかしら?)
マチーヌとフィリッパは覚悟しました。
バベットはしばらく海をみつめて、物思いにふけっていましたが
決然と踵(きびす)を返すと、姉妹に申し出ました。
”生誕100年のディナーに本格フランス料理を作らせてください!”
続きは次回
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