映画「ジェーンとシャルロット」 [映画]
映画「ジェーンとシャルロット」 原題:Jane par Charlotte(2021年 フランス)
この映画は歌手・女優・ファッションアイコンとして一世を風靡し7月に亡くなったジェーン・バーキンを、やはり歌手・女優として活躍する次女シャルロット・ゲンズブールが撮影したドキュメンタリーである。ありふれたものにしたくなかったというシャルロットの言葉通り、人生を風が吹き抜けるような情緒と深い余韻を残すユニークな作品となった。SNSで“汲めども尽きぬ味わい、砂時計のように流れ、すぐに言葉にならない”という表現を見かけたが、言い得て妙だと思う。
1946年ロンドンに生まれたジェーンは一八歳で結婚し長女ケイトを出産。1968年フランスに渡り、カリスマ的なミュージシャン、セルジュ・ゲンズブールとの間に生まれたのが次女のシャルロット。その後映画監督との間にルー・ドワイヨンをもうけた。才能ある男性と出会うたびに自身の新境地を切り開いていくたくましさは一見シャイでナイーブな外見からは想像できない。ファンにとってそのギャップが大きな魅力であるのに違いない。
一方私生活では3人の娘に恵まれながら、シャルロットとは微妙な関係だったようだ。セルジュの才能を受け継ぎ子供の頃から芸能活動を行って華のある娘。ケイトやルーとは気の置けない母親でいられるジェーンも、シャルロットに対しては気後れしていたという。父親セルジュの死後に結婚し子育てをして独自の人生を歩んでいたシャルロットも、晩年のジェーンのコンサートを見て母親への複雑な思いを表現したい気持ちにかられた。
その提案の後ジェーンにインタビューをしてフィルムを取り始めると、いきなり「このプロジェクトは続けたくない」と拒絶にあう。母親への思いを箇条書きにしたノートを持った娘に怖くなったのだ。徐々に撮影を再開しながら、ジェーンはシャルロットが母親への思いや関係を確かめたいという強い思いに気づいていく。
「私はずっとあなたに気後れしていた。あなたの存在感は特別で他の子供とは違ってた。ミステリアスで地図にない土地だった。」映画の冒頭でジェーンが語るセリフは、子供を愛せない母親の限りなく残酷な真実の告白なのだろう。それでも愛がほしい娘、愛してくれないのはなぜ?世界のどこにでもある母娘の関係がテーマとして全編を流れている。
ジェーンも実は自身の母親との関係で悩んでいた。美しい女優だった母とお気に入りの兄。自分も愛に飢えコンプレックスと戦ってきたのに、図らずも歴史は繰り返されてしまう。ラストの浜辺のシーンで自分と重なるのは母の姿だった。そして全てを受入れ愛していると抱擁する娘に打ちのめされる。
最後にあらためて母娘のアーティストとしての表現について。ジェーン・バーキンの来日公演は3回足を運んだ。ささやくように歌う“フレンチ・ポップス・シャンソン”は、かめばかむほど味のある成熟した大人の魅力にあふれていた。それはやはり言葉で表現しづらく、無理を通せばこわれてしまうような危うさをはらんでいる。(ジェーンとセルジュ・ゲンズブール、シャルロットの3人ともがステージ・フライト(あがり症)で悩んでいた。)シャルロットが撮影した本作も同じようにシャイではかない雰囲気をもっている。二人が醸し出すアートはどこから生まれるのだろう。ひとつの仮説として、真実はいつも移ろいゆく表層の奥にあり見えないからではないか。ジェーンがセルジュ・ゲンズブールの曲を歌う姿は氷山の一角で、水面下には巨大な人生の情念が隠されている。シャルロットは撮影する映像の陰で、スーパースターである母への複雑な思慕を抱えていた。表現者のパフォーマンスは常に何か大切なものを秘密にしていることで成り立っている。それは明晰さが特徴の西洋文化より東洋の表現方法に近い。ジェーンとシャルロットが日本でことのほか愛されるのはここに理由があると私は思う。
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